お知らせ
経営総合相談会(6/17開催)のお知らせ
当所では毎月17日(土日祝日の場合は20日)10時~15時まで、備前商工会館にて経営総合相談会を開催しています。金融・税務・経理・経営・労務・取引・法律・情報化などさまざまな分野の相談に対応できますので、お気軽にご相談ください。各分野の専門スタッフがお答えします。
※予約は必要ありませんが、受付順にてご相談に応じますのでお待ちいただく場合があります。ご了承ください。
2016年6月13日
備前の耐火物の歴史(第3回)
備前地区で耐火物の製造が始まった経緯には、前回紹介した三石でのろう石質煉瓦の開発とは別に、伊部での土管製造があります。
備前焼は古い歴史を持つ伝統的な産業ですが、明治期には衰退し、窯業の継続が危機を迎えていました。そのため伊部の有力者らが常滑から職人を連れてきて、土管製造を始めました。明治11年には伊部陶器(株)が、明治29年には備前陶器(株)が設立されています。山陽電鉄が開通すると、線路下の水路の確保や電話線の敷設のため土管の需要が高まり、産業として発展しました。現在も、伊部の道壁でこうした土管が埋め込まれた姿が見かけられます(写真)。
備前陶器は、京都陶磁器試験場の藤江永孝や顧問技師の海福悠の指導で当時の陶磁器製造の最新技術を導入し、土管以外に装飾用陶磁器、耐酸煉瓦、耐火煉瓦など様々な製品を製造しました。明治35年に米国式鉄骨建築の三井本館(東京)が建てられた時、テラコッタと呼ばれる装飾用陶磁器を日本で最初に製造したのが備前陶器です。耐火煉瓦も粘土質、ろう石質のほか、けい石質、クロム質など様々な材質を製造しており、明治30年代の代表的耐火煉瓦会社は、三石耐火煉瓦、備前陶器、品川白煉瓦の3社と言われていました。
その後、大正時代に備前地区の耐火物産業構造が大きく変化します。第一次世界大戦で欧州の工業が大きな痛手を受けたため、日本は大正4年から大戦景気と呼ばれる好景気を迎えます。耐火煉瓦の海外輸出が始まり、翌5年には「耐火煉瓦は船腹のある限り輸出された」と言われるほど輸出量が増大しました。そのためろう石鉱山に近く、船積みに便利な片上~伊部地区に、品川白煉瓦や九州耐火煉瓦など県外の耐火物企業が同地区の会社を買収して進出してきました。また地元の資本家により、帝国窯業や中村窯業が設立されました。大正6年には県別の耐火物煉瓦生産量で岡山が1位(全国シェア25%)となりました。
しかし、戦後需要による好景気は長くは続きませんでした。大正9年から戦後恐慌、銀行恐慌、そして関東大震災後の震災恐慌と続き、昭和に入っても昭和金融恐慌、世界大恐慌と不景気の時代が続きます。
大戦景気から恐慌の時代へと、耐火物生産量は急速に減少します。景気の良い時には、品質に問題があっても売れるために粗製濫造となり、反動的な不況になると生産過剰のため値段競争になり、耐火物企業には苦しい時期となりました。
2016年5月16日
平成28年 熊本地震義援金募集について
備前商工会議所では、この度の熊本地震の被災地 、被災事業者 、被災商工会議所の復旧・復興を支援するため、事務所入口に義援金募金箱を設置し、義援金を募っています。
皆さまからいただいた義援金は、日本商工会議所を通じ 、被災事業者の事業再開、被災商工会議所の再建、観光回復に係る事業等に活用いただく予定です。
ご協力お願い申しあげます。
2016年4月25日
夏期の軽装(クールビズ)の実施について
当所では例年、節電・省エネの観点から、夏季の軽装(クールビズ)を実施しております。今年度につきましては下記のとおり実施いたしますのでご協力くださいますようお願い申しあげます。
1. 実施期間
平成28年5月1日(日)から10月31日(月)まで(予定)
2.内 容
上記期間に開催する当所主催の会議(常議員会、議員総会、委員会等)へのご出席にあたりましては、ノーネクタイ等の軽装でご出席ください。
2016年4月25日
「ザ・ビジネスモール」への企業情報登録について
【登録方法】
「ザ・ビジネスモール」企業情報登録申込書に必要事項をご記入いただき、備前商工会議所までFAXもしくは郵送でお送りください。
企業情報登録申込書のダウンロードはこちらをクリック.pdf
【お問合せ先】
〒705-8558 備前市東片上230
備前商工会議所 担当:西中・西角
電話 0869-64-2885 FAX 0869-63-1200
2016年3月15日
備前の耐火物の歴史(第2回)
備前地区が耐火物の産地として注目されるのは、明治16年に地質調査所の高山甚太郎が、三石のろう石が耐火物原料に適することを報告してからです。明治18年には現地調査が行われ、それまでは石筆用に用いられていたろう石が、耐火物用として優れた特性をもつことを地元の人々が知るところとなります。そして、加藤忍九郎と稲垣兵衛が、別々に耐火煉瓦の製造を開始しました。現在の三石耐火煉瓦(株)は、加藤忍九郎が明治25年に設立した会社が同じ社名で存続している点で、業界でも数少ない例です。
明治26年、高山甚太郎は国産の耐火煉瓦を集めて試験を行い、その結果を大日本窯業協会雑誌に発表しました。その中で備前国三石煉化会社(加藤忍九郎)の製品は、東京白煉瓦製造所と並んで最高ランクの耐火度を示し、その品質の高さが注目を集めました。
当時の耐火煉瓦は耐火粘土を原料とした粘土質煉瓦が主流でした。作陶作業でおなじみのように、粘土は可塑性があって成形に適した原料ですが、高温では大きく収縮します。そのため耐火煉瓦を製造する場合には、粘土を一度焼成し、焼き締めた塊状原料(シャモット)としたうえで、粘土と混ぜて使用する必要があります。これに対し、ろう石は広義では耐火粘土の一種ですが、加熱収縮が少なく、むしろ高温では膨張性を示す点で他の粘土と異なる独特の特性を持ちます。そのため焼き締めた原料にすることなく生のままで使用できる利点があります。
また、ろう石質煉瓦を製鉄所で溶鉄に接する部位に使用すると、鉱滓の浸潤が少ない、隣接した煉瓦と一体化して目地が開かない等、独特の優れた特性を発揮します。そのため1960年代まで鉄鋼用耐火物(特に取鍋用煉瓦)として広く使用されました。
三石のように耐火煉瓦用ろう石原料が多量に産した地域は、国内だけでなく海外でも例がありません。海外では、ろう石質煉瓦がRoseki brickと日本語で呼ばれることもあります。
三石で耐火物産業が盛んになった一番の理由は優れた原料が産した点ですが、産業として発展するにはインフラの整備が必要です。当時、三石から片上港への道は道幅が狭く急な坂道が続き、馬車での輸送中に煉瓦の破損が少なくありませんでした。そこで加藤忍九郎は、山陽鉄道が神戸―下関間に敷設されると聞くと猛烈な誘致運動を行い、三石駅の開通を実現しました。
郷土の発展への貢献から、三石運動公園には加藤忍九郎の胸像が建てられています(写真)。またその功績は備前市歴史民俗資料館に展示されています。
※第1回はこちらをクリック
2016年3月1日
教育遺産世界遺産登録推進国際シンポジウムを開催しました
教育遺産世界遺産登録推進協議会では、2月21日に岡山県青少年教育センター閑谷学校に於いて、教育遺産世界遺産登録推進国際シンポジウム「近世日本の教育遺産群」(実行委員長/備前商工会議所 長﨑信行会頭)を開催。約300名が世界遺産登録への関心を深めました。
当日は長﨑実行委員長が「教育遺産の価値と歴史上の意義についてさらに理解を深めていただきたい」とあいさつを述べ、開会。「日本近世の教育」と題した陶徳民氏(関西大学教授)による記念講演や学識経験者等によるパネルディスカッションが行われました。
この国際シンポジウムは日本遺産に認定された旧閑谷学校等の「近世の教育遺産群」の価値を検証し、理解を深めるとともに、市民の機運の醸成図り、世界遺産登録実現に向け、平成24年度より協議会会員各市の持ち回りで開催しています。
【教育遺産世界遺産登録推進協議会】
世界教育史上独自の発展を遂げたわが国の教育を象徴する「近世の教育遺産」の世界遺産登録を目指すため水戸市・足利市・日田市の3市で平成24年11月に発足。平成27年5月に備前市が加盟。4市の商工会議所、教育委員会、学識経験者等で組織。今後はさらに連携を図るとともに、国内外へのPR、市民の理解を深める活動を計画中。
2016年2月23日
教育遺産世界遺産登録推進シンポジウム「近世日本の教育遺産群」のお知らせ
水戸市、日田市、足利市、備前市の市民等による交流の場を設け、「近世日本の教育遺産」の世界遺産登録を目指す4市民の機運の醸成を図るとともに、日本遺産に認定された教育遺産群の価値を検証し、世界遺産登録実現に向け、教育遺産世界遺産登録推進国際シンポジウム「近世日本の教育遺産群」を開催します。ふるってご参加ください。
日 時 平成28年2月21日(日) 13:00~16:00(開場12:30)
会 場 岡山県青少年教育センター閑谷学校
プログラム
12:30 開場
13:00 開会、主催者挨拶
13:20 記念講演「日本近世の教育」 関西大学 教授 陶 徳民 氏
14:30 パネルディスカッション「近世日本の教育遺産群」
○コーディネーター
臼井 洋輔 氏(元吉備国際大学教授・文学博士)
○コメンテーター
日高健一郎 氏(東京藝術大学客員教授)
○パネリスト
森 熊男 氏(岡山大学名誉教授・就実小学校校長)
石山 修武 氏(早稲田大学名誉教授)
橋本 昭彦 氏(国立教育政策研究所総括研究官)
定 員 先着300名
申 込 備前市秘書広報課へ電話で申込み(電話 0869-64-1800)
その他 チラシのダウンロードはこちらから
2016年2月10日
安全衛生研修会「化学物質リスクアセスメント」開催
平成28年1月29日(金)岡山セラミックスセンター(備前市西片上)において、和気労働基準監督署管内の化学物質を使用している事業場等を対象に「化学物質リスクアセスメント」安全衛生研修会を開催しました。参加者約90名。【主催:和気労働基準監督署、共催:岡山セラミックス技術振興財団、耐火物協会中国四国支部、東備耐火物粉砕工業協同組合、後援:岡山県労働基準協会和気支部】
開会のあいさつで和気労働基準監督署 三宅徹署長より「化学物質リスクアセスメント」実施のため取組み体制の整備、岡山県下で運動している「職場の安全と健康確保強化期間」(実施期間平成28年1月から3月末まで)への協力を要請がありました。
平成28年6月1日から「化学物質リスクアセスメント」に関する改正労働安全衛生法が施行されるため、化学物質の危険性又は有害性の調査に関する取組方法等について、専門家より演習等を含めた講演がありました。
また、すでに「化学物質リスクアセスメント」に取組んでいる管内事業場から有害性、ばく露評価の進め方を含め事例発表していただき大変有意義なものとなりました。
続いて和気労働基準監督署担当官より、当署管内の主要産業の窯業土石製造業で取り扱っている「リフラクトリーセラミックファイバー(平成27年11月1日より特定化学物質)」に関する有害性、作業管理、健康管理について説明がありました。
2016年2月5日
備前の耐火物の歴史(第1回)
耐火物とは、鉄鋼、非鉄金属、セメント、ガラスなど約1000℃以上の1で操業する工業炉や、備前焼など各種窯業の窯で、内張りに使用されて高熱に耐えるセラミックス材料です。昔は耐火煉瓦と呼ばれていましたが、現在はコンクリートのように現地で施工する材料が多くなったため、耐火物と総称されています。備前地区には日本の耐火物メーカーの約3分の1が集まっており、世界的に見ても耐火物産業の盛んな地区の1つです。
また商業ベースでの耐火物製造が始まって127年の歴史があります。備前で耐火物が製造されてきた歴史を6回に分けてご紹介します。
日本の耐火物の製造は、幕末に大砲を鋳造するため、各地に反射炉が築造されたことから始まりました。当時の姿を残した「世界遺産」として伊豆の韮山反射炉が有名ですが、赤穂線の大多羅駅の近くにも同じような反射炉が築造されました。
大多羅反射炉は、邑久郡下阿知村の蘭方医・塩見常蔵が、岡山の宮大工棟梁・尾関滝右衛門と協力して行った民間主導の大事業でした。反射炉を1基つくるには耐火煉瓦が約2万個必要です。塩見常蔵はオランダの砲兵将校が書いた技術書の翻訳本を頼りに、大変な苦労を重ねながら、粘土を成形し、登窯で焼成して耐火煉瓦を製造しました。
慶応元年に建造された反射炉は大砲を鋳造することには成功したものの、鋼の品質が不十分であったため試射の時に砲身が破裂し、失敗に終わりました。そのため反射炉は取り壊されてしまい、現在、その跡地(旭東中学校付近)には何も残っていません。
しかし、付近を工事した時に反射炉で使用した耐火煉瓦の一部が見つかっており、西大寺文化資料館に展示されています(写真)。
このように幕末には、日本の各地で反射炉築造のため耐火煉瓦の製造が行われましたが、それらは産業として定着することなく、一時的な取り組みでした。本格的な耐火煉瓦の製造が始まるのは、明治時代となり、工部省の主導で伊豆梨本村に工場が建設されてからです。そして明治8年には西村勝三が東京に民間の耐火煉瓦会社を設立しました。
こうして明治初期の耐火物製造は関東が舞台でしたが、やがて備前地区(三石)で優れた耐火物原料が発見され、明治20年代から耐火煉瓦の産地として存在感を増していきます。
2016年2月4日