難(かた)いかな、恒(つね)あること
むずかしいのは、信念もち、そしてもち続けること。
●エピソード1
南宋の名臣、文天祥は、元との崖山の戦い(1279年)で決定的な敗北を喫し、身柄を北京(大都)に護送された。文官としての優秀さを聞いていたフビライ・ハンは彼に元に仕えるよう勧めるが、彼は頑として志操を曲げない。獄中で、有名な「正気の歌」を記す。獄中にあること3年。いよいよ処刑される前に、「過零丁洋」(零丁洋を過ぐ)の詩を賦す。その詩の最後にはこうある―― 「丹心を留取して汗青を照らさん」 (誠の心を貫いて、歴史の評価の中で自分の名を輝かせたい) 囚われの身となった文天祥の、志だけは決して失わないとする凄絶な覚悟である。
(死んでも信念を曲げない人物もいる)
為政者の中に、自分の結果責任を棚上げにして「あとは歴史の評価にゆだねたい」と逃げ文句を言う者がいるが、文天祥の言葉とは一見似てはいても、覚悟の無さでは雲泥の差がある。
●問題1-A
宋は1127年に北方の金に攻め込まれ北半分の領土を失い、徽宗と欽宗親子は金の都(ハルビン)に抑留された。この事件を何というでしょう?
(1)黄巾の乱
(2)安禄山の乱
(3)紅巾の乱
(4)靖康の変
●問題1-B
宋は、1127年に南宋となってからはどこに都をおいたでしょう?
(1)南京
(2)上海
(3)開封
(4)臨安
●問題1-C
この「正気の歌」に基づいて「正気の歌に和す」という詩を作った日本人は誰でしょう?
(1)頼山陽
(2)吉田松陰
(3)藤田東湖
(4)佐久間象山
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