上級 第16回(2)

●エピソード2

徳川幕府最後の勘定奉行、小栗忠順(ただまさ)は、開国後の国家経営、特に国益に 沿うよう経済を運営するにはどういう制度が必要かを、ずっと考え続けた。条約批准書の交換のために米国を訪れたときは、通貨交換比率の不整合な取り扱い事実をそろばん片手に指摘したり、外債発行に奔走したり、造船所の建設やそれを稼動させるための経営システムを導入したり、また商社の設立やホテルの建設等をすすめたりと、その後の明治日本の経済体制の図面を描いた。小栗忠順には、国益とはすなわち国民益、小を糾合して大を為すの信念があった。惜しいかな、慶応4年、新政府軍に捕えられ、従容として落命。まことに時代の先を読む人物だった。

 

●問題2-A

小栗忠順らが小判1両と米ドルの交換レートを分析するために立ち寄ったのはどこでしょう?

(1)フィラデルフィア造幣局 
(2)ニューヨークの連銀事務所
(3)シカゴ穀物市場
(4)ワシントンのホワイトハウス

 

●問題2-B

小栗忠順が企画した造船所はどこに設けられたでしょう?

(1)横浜
(2)横須賀
(3)江戸
(4)長崎

●問題2-A  (1)フィラデルフィア造幣局

万延元年の遣米使節の目付役、小栗忠順はフィラデルフィアの造幣局で、安政小判1両を鋳つぶして金の量を測ったが、その結果は1両=金貨3ドル 57セントで、それまでの取決め、1両=金貨4ドルに異なっていた。すなわち、日本小判が安い米価で国外流出することにつながる。そこで、幕府は猛抗議するが、既に批准書交換後のこと。
 

●問題2-B  (2)横須賀

小栗忠順は、新見正興(正使)、村垣範正(副使)とともに、ワシントン造船所を訪問したとき、新時代の日本として造船の建造・補修使節の必要性を痛感。その後、横須賀に幕府の製鉄所(→造船所→海軍工廠)が建設され、明治政府に引き継がれた。日露戦争後、東郷平八郎が小栗の遺族に「日露戦争に勝てたのは、小栗のお蔭」と謝意を表した話は有名。

カテゴリ:論語クイズ

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