当サイトで、論語に対し親しみをもっていただき、生活に役立てていただければと思います。

論語と閑谷学校と論語かるた

1670年、備前市閑谷の地に当時の岡山藩主池田光政公は、徳をもって国を治めることを願って、儒学を建学の精神とする庶民のための閑谷学校をつくり、そこで教えられた論語は、儒学の祖と言われている孔子とその弟子たちとの問答を集めたものですが、混沌とした現代社会を生きる私たちにとって、論語は人として基本的なことを教えてくれるものさしのようなものです。

備前商工会議所では、2011年「びぜん論語かるた」を発行しました。

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かるたにして楽しみながら多くの人々の生活に役立てていただきたいと考えています。また、「論語かるた」を使用して「全日本論語かるた選手権大会」を開催するなど、論語の普及と、地域で取り組んでいる、「閑谷学校の世界遺産登録」の一助になればと考えています。
当サイトで、論語に対し親しみをもっていただき、生活に役立てていただければと思います。

カテゴリ:論語かるた

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備わるを一人に求むることなかれ

そなわるを一人ひとりに もとむることなかれ

一人の人に完全かんぜんもとめてはいけない。

無求備於一人   (微子第十八 10)

【対話】

A リーダーシップは、 一人で発揮できるものではない。 劉邦による漢の創業は、 蕭何しょうか(政務)、 韓信かんしん(武将)、 張良ちょうりょう(軍師) という、 それぞれすぐれた家臣がいたから可能だったのであり、 源頼朝による鎌倉幕府の創業も、 同じく、 大江広元 (政務)、 源範頼 (代官)、 北条義時 (武将) ほかに支えられていたからだ。
指導者にすべての優れた素質を求めることはできないし、 仮に一人で切り盛りしている集団があるとすれば、 それは決して長持ちしない。
B (そのとおり。) ただし、 このことはリーダーシップのことだけではない。 計画や準備など、 目立たぬ裏方の仕事でもそうだ。 他人の協力を求めるためには、 まず聴く姿勢が必要だ。

【エピソード】

ゆるすすべを知らなければならない。 喧嘩腰けんかごしの怒りっぽい態度をいつまでも持してはならない。 これは隣人を傷つけ、 またわれわれが自ら楽しむのを妨げるものである。 人間の弱点を認めて、 それと闘うよりもむしろそれに従わなければならない。」
「ナポレオン言行録」 (大塚幸男訳・岩波文庫)
作者オクターブ・オブリは、 ナポレオンの言動の中に、 非凡ひぼんさと普通さをとらまえている。 そして、 ナポレオンの非凡さは、 完璧かんぺきはありえないと覚悟する一方で、 現実的な思考方法をとっている点にあるとみている。

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鶏を割くにいずくんぞ牛刀を用いん

鶏をくに いずくんぞ牛刀ぎゅうとうもちいん

小さなことを処理するのに、 大げさな方法をとる必要はない。

割鶏焉用牛刀   (陽貨第十七 4)

【対話】

A 大げさな方法であっても、 事の処理が出来る場合はまだよい。 問題は、 その手段が目的に合っていないとき、 かえってそれが有害となることもある。

B (確かに、) 目の前の切迫した事情にきゅうするあまり、 本当の解決法を見失うことがある。 幕末、 備中松山藩の家老山田方谷は、 この点を喝破かっぱし見事に藩財政を立て直した。 幕府の老中首座をも務める藩主板倉勝静いたくらかつきよを補佐し、 日本全体の時局をも見ながら、 いよいよ幕府の命脈が尽きるのも見通した。
すべては、 長期見通しを立てるとともに、 目的と手段の整合をはかることが大切と説く。――― 「それ天下の事を制する者は、 事の外に立ちて事の内には屈せず。 しかるにいまの理財者はことごとく財の内にくっす。 —-而して財用の一途、 独り目下のわずらひなり。 —-義理を明らかにしてもって人心を正し、 撫字ぶじ※を務めて民物をせん※し、 古道をとうとび以て文教をおこし—-財用の途もまた従って通ず」 「理財論」 (天保七年)
※意味  撫字-育てること 贍-充分に与えること

【エピソード】

「孟子」 に、 ある男が、 植えた苗をもっと早く生育させようと引っ張ったところ、 苗は枯れてしまった話がある。 孟子もう し 公孫丑章句は、 「浩然こうぜんの気き」 を養うには、 これを助長してはいけないと説いている。 浩然の気とは 「至大至剛しだいしごうにしてなおく、 養ってそこなうことなければ、 すなわち、 天地の間に満つ」 と説明されている。
高潔こうけつな人格を、 さらに高めたいとするときに、 これを助長 (無理に促してだめにしたり、 目的と手段を取りちがえたり) してはいけない。

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朋あり遠方より来たるまた楽しからずや

ともあり遠方えんぽうよりたる またたのしからずや

友達が遠くから来てくれる、 なんて楽しいことだ。

有朋自遠方来、 不亦樂乎   (学而第一 1)

【対話】

A 友だちのおかげで、 自分が社会の一員、 世に棲む者であることがわかる。

B (そうだ。) 友情のおかげで天才の作品が世に残った。 「檸檬れもん」 は、 早逝そうせいした梶井基次郎かじいもとじろうの作品の中でも、 ひときわ青春の不安と焦燥しょうそうを、 美しい筆致ひっちなかで表現したものとして名高い。 紡錘ぼうすい形の、 輝くような色つやをした、 ただレモン一個の存在が、 作者の心象をドキドキするような緊張感で表現している。 この鮮烈せんれつな表現に感嘆かんたんした友人の三好達治や川端康成や横光利一らが、 まだ無名の彼の作品を世に出す手伝いをしてくれた。 まことに若き日の友情は、 きらきらとして美しい。

【エピソード】

閑谷学校教授役の武元君立たけもとくんりゅうのもとへ、 友人頼山陽らいさんようが訪ねてきたのは、 文化十一年 (1814)。 直前に山陽の父頼春水らいしゅんすいが訪問し校内にある茶室を 「黄葉亭こうようてい」 と名づけていたので、 山陽は学校周囲の景観を詠んだ 「黄葉亭記」 という詩をした。 二人はともに菅茶山かんちゃざん(備後神辺)のもとで学んだ友人どうし。 ともに、 歴史の中に 流れ を見つけて、 それを汲み取ろうとする姿勢を持っていた。 君立の 「史鑑しかん」は山陽の「日本政記にほんせいき」 に大きな影響を与えた。 切磋琢磨せっさたくま しあう友だちは何ものにもかえがたい財産だ。

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仁に当たりては師にも譲らず

じんたりては にもゆずらず

人として恥ずかしくない生き方については、 相手が師と仰ぐ人であっても、 人任せにしていてはいけない。

当仁不譲於師   (衛霊公第十五 36)

【対話】

A 先生や周囲といった人的なしがらみを考えすぎてはいけない。 そして信念
にそむいてもいけない。

B 正平二年 (1347) 十一月、 楠木正行軍に敗れた山名・細川軍は、 京へ逃げ帰ろうと渡辺橋 (大阪 天満橋辺り) に殺到したが、 小さな橋のため多くの将兵が川へ落ちた。 追討をかけていた正行軍ではあったが、 彼らを助け、 衣服、 食料、 手当てを与えて帰らせたと、 太平記にある。 十一年前に湊川で亡くなった父、 楠木正成の無念を思えば、 ここで敵に情けをかけなくてもよいのだろうが、 正行にはなぜか仁の心がおこったのだろう。 日本では博愛の心は、 多く武士の間からおこってくる。 正行はこの後、 四条畷の戦いで陣没する。

【エピソード】

天上から火を盗み人間に与えたことで、 ゼウスの怒りを買いコーカサス山頂にしばられたプロメテウスは、 ゼウス自身も人間に追われることを予言する。 海神オーケアノスがゼウスへの謝罪を勧めるが彼は拒否。 ゼウスは自分の恋慕する乙女イーオーから自分の運命を聞いたため、 その訳を知ろうとヘルメスを彼に差しつかわすが、 これも断固拒否。 師と神、 道を求めることと運命を知ることに違いはあれ、 人は時に大きな相手と戦わなければならない。
「縛られたプロメテウス」  アイスキュロス 古代ギリシャ

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君子は矜して争わず群して党せず

君子くんしきょうしてあらそわず ぐんしてとうせず

人とあらそわずにほこりをもて。 党派的になりすぎてはいけない。

君子矜而不争、 群而不党   (霊公第十五 22)

【対話】

A とかく器の小さい人は、 群れの中で自分を守りたがる。

B (その性格は悲しいことだ。 だが、) そうなるのを少しでも防ぐように考え出されたのが、 英国のアーサー王伝説にある、 十二人の騎士たちのすわる円卓だ。 騎士はランスロットを初めとする面々で、 むろん騎士道精神を実践している者たちだ。 ただ、 この物語の中でランスロットは、 最後にアーサー王に叛逆することになる点、 本句のテーマに反することとなっている。 とかく、 信念と孤高ここうを守るのは難しい。

【エピソード】

福沢諭吉は父の死去で豊前中津へ帰郷しても周囲の空気に溶け込めず、 軽輩ゆえにすべてに劣後。 これをはねのけようと、 漢籍万巻にあたり、 勉学にはげむ。 彼の独立不羈どくりつふきの精神は、 門閥制度への怒りに始まる (『門閥制度は親のかたきでござる』)。 やがて党派的に群がる人間がつまらなく見えてくる。 そして、 知への好奇心、 実利効用の発想をたくましくする。 邪魔だてされても意に解さない精神力は痛快だ。
「福翁自伝」  明治32年

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礼譲を以て国を為めんか何かあらん

礼譲れいじょうもっくにを為おさめんか なにかあらん

互いに尊敬する気持をもって社会にかかわろう。

能以礼譲為国乎、 何有   (里仁第四 13)

【対話】

A 現実には貧富の差がある。 このような句は理想にすぎないのではないか。

B (確かに理想かもしれない。 しかし、 その理想を求めてやまない人もいる。) 貧富に関係なく、 互いに尊敬することはできるはずだ。 戦前の経済学者、 河上肇の経済思想は、 弱者をいかに救済するか、 だった。 弱者とは人間らしさへの前提を奪われた人たちのことと定義づけている (「貧乏物語」)。 これは、 内村鑑三の考え方や倫理観に触発されたものだ、 河上肇が、 学者にして永遠求道の戦士と呼ばれるゆえんである。

【エピソード】

出羽国米沢藩の九代藩主上杉鷹山うえすぎようざん公がその後の藩主に心得として与えた言葉はつぎのとおり。
一、 国家は先祖より子孫に伝えそうろう 国家にして我わたくしすべき物には無之候これなくそうろう
一、 人民は国家に属したる人民にして、 我私すべき物には無之候
一、 国家人民の為に立たる君にして、 君の為に立てたる国家人民には無之候
「伝国の」 上杉鷹山 天明五年 (1785)
すでに民主主義の本質が語られている。

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