己を修めて以て百姓を安んず
己を修めて以て 百姓を安んず
自分でよく修業をつみ、 そして社会全体が良くなることに取り組むべきだ。
修己以安百姓 (憲問第十四 44)
【対話】
A 天保八年 (1837) の大塩平八郎の乱は、 腐敗しきった役人や不正蓄財の商人への義憤からおこったもの。 一日で反乱は鎮圧されたが、 民衆の中には賛同者もいた。 賛同者を得るには、 やはり自己犠牲の心が必要だ。
B (はたして、 そうか?) 結果として自己犠牲の形が見えなければ人を信じられないというのでは、 大義はどうなる?「己を修める」 とは、 現代でいえば、 安心社会の利益を受けるには、 各人はまず自己修養をつまなければならないということを意味する。
【エピソード】
「一家仁なれば、 一国仁興こり、 一家譲なれば、 一国譲興こる。
一人貪戻なれば、 一国乱と作り、 その機、 かくの如し」
「大学」 (第5章2節)
二宮金次郎像は、 右手に背負子の紐をしっかり握り、 左手は書物をもっている。 その書物は 「大学」 である。 その開いている箇所には、 右の言葉が並んでいる。 彼の精励ぶりとその成果は、 やがて小田原藩主、 大久保忠真公の耳にもとどき、 御用方に採用された。 やがて粒々辛苦のかいあって、 荒れた田の再生を果たした。
カテゴリ:論語解説
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2016年6月14日