中庸の徳たるやそれ至れるかな
中庸の徳たるや それ至れるかな
つりあいのとれた考え方が大切だ。
中庸之為徳也、 其至矣乎 (雍也第六 29)
【対話】
A 皆の意見の中間を取れば、 つりあいの取れた考え方となるのでは?
B (まったく違う!)中庸の“中”とは“的中”の“中”である。 人の意見の中間という、 無責任で安直な結論であってはならない。 それで丸く収まるかどうかではなく、 つねに最適解を目指す覚悟で判断しろということだ。
ギリシャ・テーバイの王位争いで殺害された兄を悼むアンティゴネーに対し、 その政敵の叔父は、 反逆者に適用される法の趣旨から、 その埋葬を禁止する。 が、 元王女として法を守る立場と、 人の道を守ろうとする立場の中で、 彼女はあえて埋葬を行なう。 あれかこれかの二者択一しかない場合、 中庸とは、 実にむずかしい判断だ。
【エピソード】
中庸を説く東洋の知恵に似かよった言葉を、 旧約聖書の中でソロモンが語っている。
善人すぎるな、 賢すぎるな。 どうして滅びてよかろう。
悪事をすごすな、 愚かすぎるな。 どうして時も来ないのに死んでよかろう。
(旧約聖書 コレヘト (伝道者) の言葉)
つりあいのとれた考え方をしていれば、 大きな踏みはずしはないだろう。
カテゴリ:論語解説
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2016年6月14日