後生畏るべし
後生畏るべし
人はとてつもない可能性を秘めている。
後生可畏也 (子罕第九23)
【対話】
A (そうありたいが、) 実際のところ、 可能性は周囲や時代の環境や条件によって左右されてしまう。
B (いや、) そんな内向き志向ではいけない。 「荘子」 の逍遥遊編には、 「巨大な魚が姿を変え鵬という鳥になって、 それが一たび満身の力で南の空を目指せば、 翼は大空を覆うほどになる」 との話がある (『図南の鵬翼』)。 このくらいの気宇壮大さを持ってほしい。
【エピソード】
村の人たちの声望を集めてギムナジウムに入学したハンスだったが、 やがて自分の心を圧するような周囲の雰囲気に馴染めず、 退学して村に帰ってきた。 そして職につく。 職場では、 人間も歯車もベルトもいっしょになってはたらいている。 やがて彼はそこに労働の賛歌を感じるようになった。
「車輪の下」 ヘルマン・ヘッセ 1905年
「後生畏るべし」 とは、 必ずしも出世したり、 著名人になったりする可能性のことをいっているのではないと思う。 自分が生かされている社会に素直に感動する心を持ち合わせているかどうかという、 人間精神の素晴らしさを言っているのではないだろうか。 青春の胸のうずきを想起させる。
カテゴリ:論語解説
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2016年6月14日