吾十有五にして学に志す

吾十有五われじゅうゆうごにしてがくこころざ

そろそろ本気で勉強しよう。

吾十有五而志乎学   (為政第二 4)

【対話】

A 現代では十五歳なんか遅すぎるくらいだ。

B (誤解してはいけない。) ここでいう 「学」 とは学科のことではない。 人としての魂の持ちようや常識やこの世で生きていくに必要な道徳を対象にしており、 自分に問いかける学問のことだ。 論語には、 「ひろまなびてあつこころざし、 せついてちかおも」 (子張第十九) とある。
意味 考え抜いたことを質問して、 それを身近なものに当てはめてみる。

【エピソード】

―――第一 年来稽古条々
「この芸において、 大方、 七歳をもて初めとす。 このころの能の稽古、 必ずその者自然とし出だす事に、 得たる風体ふうていあるべし。 舞・働きの間、 音曲、 もしくは怒れる事などにてもあれ、 ふとし出さんかかりを、 うちまかせえて心のままにさすべし。 さのみ。 よき、 あしきとは教ふべからず。」
風姿花伝ふうしかでん」  世阿弥ぜあみ 応永七年 (1400)
このごろは習い始めが早ければ早いほどいいとするはやりがある。 しかし、 習いごとには、 もともとしゅ(=基本どおりにすること)、 (=基本に工夫を加えること)、 (=自分流をだすこと) のプロセスがある。 このことをよく考えなければならない。

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辞は達するのみ

たっするのみ

言葉は伝わらなければ意味がない。

辞達而已矣   (衛霊公第十五41)

【対話】

A 情報伝達手段は、 現代では視覚・聴覚に訴えるものもある。 大事なのは、 情報をまとめあげる能力だ。

B (確かにそうだが、) ここで言う 「辞」 は、 デジタル化が可能な情報をいうのではない。 たとえデジタル情報であっても、 それが脳に達したのち、 人のじょうをふるわせ、 魂を揺するようなものとなるかどうかだ。 平凡な生活の中でも、 次のような表現になる例もある。

秋刀魚さんまの歌    佐藤春夫
あはれ、秋風よ こころあらば伝えてよ 
男ありて、 今日の夕餉ゆうげに秋刀魚を食ひて思いにふける、 と

【エピソード】

言葉は達してこそ意味がある。 しかし、 現代はそれが達しないことで、 生きにくさが目立ちつつある。    『孤独は山になく、 街にある。
一人の人間にあるのでなく、 大勢の人間の 「間」 にあるのである。 孤独は 「間」 にあるものとして空間のごときものである』
「人生論ノート」三木清  昭和十六年
言葉を魂あるものとしてとらえる日本人の感性を大事にしたい。

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教えありて類なし

おしえありてるいなし

教えを守るのが大切。 最初から上手や下手と決まった人がいるわけではない (真理や課題に対し素直に向き合おう。 それらと取り組んでいくときに、 向き・不向き、 上手・下手、 身分や条件の有無、 といった余計なことを考える必要はない)。

有教無類   (衛霊公第十五 39)

【対話】

A (理念は立派だが) 現実のところ、 試験や資格の程度や実績の有無うむが問われ、 結局は学びが制限され、 その入り口がせばめられている。

B (それはそうかもしれない) しかし、 それは学ぼうとしない者の言い訳だ。 学ぶ心があればそれでいいのだ。 佐藤一斎さとういっさい の 「言志晩録げんしばんろく」 に 「しょうにして学べばすなわちそうにして為すことあり。 壮にして学べばすなわち老いて衰えず。 老いて学べばすなわち死して朽ちず」 とある。

【エピソード】

石田梅岩いしだばいがんが、 享保四年 (1729)、 京都の自宅で開いた塾は、 身分や男女の差はなし、 月謝もなし。 町人の商いをあたり前のこととして、 人の歩むべき道を分かりやすく語っている。 町人の力がましてきた時代、 この 「心学」 は全国に広がった。
都鄙問答とひもんどう」  石田梅岩 元文四年 (1739)
学ぶ側でもまじめな態度がたいせつ。 本来、 学ぶ力は身分などで差 (= 「類」 やグループとしての差) はない。 ただ、 教えを守ろうとするまじめさがあるかどうかの問題。

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行くに径に由らず

くにこみちらず

抜け道を使ってはいけない。

行不由径   (雍也第六 14)

【対話】

A (本当にそうか?) むしろ抜け道に入って要領よく事を処理するほうが、 経験が増えていいかもしれない。

B (しかし、 そうはなかなかいかないのが常だ。) 何が主要で、 何が付随か、 どれが変わってはいけない (不易ふえき) もので、 どれが変わっていい (流行りゅうこう) ものか、 の区別をつけないで、 やみくもに抜け道に入るのは失敗のもとだ。

 「不易ふえき」、 「流行りゅうこう」 も松尾芭蕉の 「おい小文こぶみ 」 にある。

【エピソード】

二世紀、 ローマ支配下のタルソの町に、 お金持ちの若者ユリウスがいた。 ユリウスは何か満たされない思いをつのらせていた。 友人からキリストの教えを聞いても興味がなく遊んでばかり。 共同作業の畑を紹介されても気がのらない。 あるときけがをした。 見舞ってくれた人の言葉から、 無性に 「本当の生きる道を歩みたい」 と思うようになった。 友人は、 荒れたさびしい畑を案内して言った。 ――― まっすぐな道こそ大切だ。 神にとっては、 実りゆたかな畑も楽しそうな共同作業の畑もない。 一つの命があるだけだ ―――
「光あるうちに光の中を歩め」   トルストイ  1887年
抜け道は、 決して自分の心を満たしてくれない。

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今なんじは画れり

いまなんじはかぎれり

『私には力が足りないのです』 と言った弟子に、 先生が言った

―――力が足りないのは、 途中でやめるからだ。 今、 お前は自分で自分の力に限界をおいてしまっている。 それではいけない。

今女画 (女=汝)    (雍也第六 12)

【対話】

A 根性論だけで現実が乗り切れるのか?

B (そういう人にかぎって途中であきらめるものだ。) 平安時代の三蹟さんせきの一人、 小野道風おののとうふうは、 柳の枝に何度も跳とびつこうとして失敗ばかりしている蛙が、 最後に一陣の風の助けで見事跳びつくことができたのを見て、 自分も大いに発奮はっぷんし、 後、 書の大家たいかとなった。 あきらめない人には、 何かが味方してくれる。

【エピソード】

「為せばなる為さねば成らぬなにごとも成らぬは人の為さぬなりけり」
上杉うえすぎ鷹山ようざん治憲はるのり
明和四年 (1767)、 十七歳で米沢藩主になった上杉鷹山公は、 先生の教えを実行し、 大節約令を出すとともに、 事業をおこし、 飢饉ききんや不作に備える方針を掲げた。 自分の都合だけで動く人間をしりぞけ、 改革を断行。 みごと天明の飢饉を乗り越えた。 そして天明五年 (1785)、 隠居。

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人よく道を弘む

ひとよくみちひろ

人こそが道を弘めていけるのだ。 (道が人を弘げるのではない)

人能弘道   (衛霊公第十五 29)

【対話】

A (ばかばかしい。) ご苦労さんなことだ。 情熱だけで動く人間なんかいまどき珍しい。
B (いや、 世の中は捨てたものではない。) 美を愛し、 知を貴び、 正を育んで礼をつくす、 困窮する弱者に果然として涙する心は日本人からは決してなくならない。 むしろそれは静かに広まっていく。 新渡戸にとべ稲造いなぞうの 「武士道」 はそれを我々に思い起こさせてくれる。

【エピソード】

①備中足守あしもり出身の緒方おがた洪庵こうあんは、 嘉永二年 (1849)、 天然痘対策として大坂で除痘館じょとうかんを開いた。 人々を救いたい一心で懸命に取組む姿を見て、 その弟子たちがあとに続いた。 安政五年 (1858) には、 幕府もこれを認めた。 人に新しい幸せをもたらすのは制度ではなく人である。 人の熱い思いと行動力が、 道を開いていってくれる。

②水戸藩の藩校、 弘道館こうどうかんは、この句に由来する。藩主徳川斉昭公は、早くから海防の充実と藩政の、 ひいては幕政の改革が必要と考えていた。また藩では、 「大日本史」 の編纂へんさん事業を進めていたこともあって、人が歴史を作る、 そして歴史には必然があると考える水戸学が形成されてきた。藤田ふじた東湖とうこの 「正気せいきの歌」 は、広く維新の志士たちを鼓舞こぶした。ただ、惜しいかな、東湖自身は安政二年の地震のとき、母を守ろうとして、江戸屋敷の梁はりの下で圧死。

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