学びて時にこれを習うまた説しからずや
学びて時にこれを習ならう また説しからずや
頭だけで学んだ知識を実際に使う段になって練習してみると、 なるほどそうだったのかと納得できて、 心ほどける思いがする。
学而時習之、 不亦説乎 (説=悦) (学而第一 1)
【対話】
A (確かに、) 復習は、 繰り返し、 繰り返し行なってこそ意味がある。
B (いや必ずしもそうではない。 別の形で復習するのも大切だ。) 科学史上、 電磁誘導の法則で名高い英、 M・ファラデーの講演の例がある。 著名な学者となった彼は、 晩年クリスマスに、 ロウソク (日本製もあり) と食塩を使って一般向けに連続講演を行なった。 身近な物で、 この世のほとんどの現象が説明できるとの結論に、 子どもを含めた聴衆は、 大きな感嘆と興奮に包まれた。
これは、 まともな教育を受けられなかった彼自身が、 幼少時に経験した知的感動への感謝として行なったもの。 同じ形の復習も大事だが、 生涯忘れられないような感動をもたらすには、 別の形も有意義だ (講演録は 「ロウソクの科学」 として名高い)。
【エピソード】
父、 観阿弥のあとをついで能を大成させた世阿弥(1363~1443) は、 十二歳で猿楽能を演じ、 足利幕府三代将軍、 義満から絶賛された。 庇護をうけ人気が出ても決して増長せず、 能の真髄を極める姿勢をつらぬく。 能役者人生の知恵をまとめた 「花鏡」 には、 有名な 「初心忘るべからず」 がある。 稽古と復習という基本にたちかえることを大切にし、 その中から自身も 「幽玄」 という理想美の概念を打ち立てた。 晩年、 六代将軍、 義教のせいで佐渡に流されるが、 決して配所はいしょの月をなげかない。 信念を体現した人の度量の広さだろう。
カテゴリ:論語解説
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2016年6月14日