まことに仁に志せば悪しきことなし

まことにじんこころざせば しきことなし

ひとすじに人として恥ずかしくない生き方をしようとしているのなら、 悪いことをするわけがない。

苟志於仁矣、 無悪也 (里仁第四 4)

【対話】

A しかし、 仁とは具体的に何をすればいいのか分からないのが現代人だ。

B (確かに) 奈良時代の聖武天皇の后、 光明皇后による疫病・飢饉難民に対する博愛事業は有名だ。 その中の一つ。―――法華寺に空風呂 (今日のサウナ式) を設け、 千人施浴の修行に挑む。 自ら困窮者の背中を流し、 膿を吸い出す世話だ。 千人目の人に同じく施してやったら、 その人は、 『我は阿仏あしゅくぶつなり』 と言って、 紫の雲に乗り、 西の空に消えていったという。 これにて修行は完結した。 仁の心はきっと誰かが見ている。 報いを考えてはいけない。

【エピソード】

①古代インドには、 釈迦やその弟子たちの前世での因縁にかかわる物語が存在しており、 ジャータカ物語 (本生譚) と呼ばれている。 法隆寺の国宝、 玉虫厨子の四面にも、 それが描かれており、 その一つに、 「捨身飼虎」 といわれるものがある。 その内容は、 釈迦が前世で薩王子さったおうじと名乗っていたころ、 巌の上や谷の下に、 腹を空かした虎が子どもとともにいるのが見えた。 そこで、 釈迦は巌の上で衣を脱ぎ、 谷底へ身を投げた。 親子の虎はその肉を食べ、 飢えから救われた、 というもの。 自己犠牲的な精神であるが、 仁の心とどこか底流でつながっているようだ。 四コマ漫画のようでありながら、 命というものの本源的、 哲学的な命題を語っている。

②アレキサンドル・デュマの 「三銃士」 で、 アトス、 ポルトス、 アラミスとダルタニヤンが誓いを立てる場面での言葉は、 「一人はみんなのために、 みんなは一人 (または一つ) のために」 である。

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義を見てせざるは勇なきなり

てせざるは ゆうなきなり

断固としてせねばならない事態が身に迫った場合に、 尻込みしているようでは、 男気がない。

見義不為、 無勇也 (為政第二 24)

【対話】

A 「勇気」 という言葉からは、 文字通り勇ましい場面を連想するが、 本当にそうだろうか?

B (いや、 そうではない。) 勇気は、 日常の経済生活とも関わる。 ―――文化・文政・天保期に大坂で活躍した篤農家 (というか、 今日流には農業ジャーナリスト) の大蔵永常おおくらながつねは、 苗売り等の稼業のかたわら、 全国を股にかけ各地で農業指導をする。 「農家益」、「農具便利論」、「除蝗録じょこうろく」、「綿圃要務めんぽようむ」 などを著し、 農業発展の熱意に燃え続ける。 が、 いつも自分の生活は二の次、 三の次。 農業で困っている人を見ると黙っていられない性分。 こういう無私篤実の先人のお蔭で、 今日の日本はある。

【エピソード】

司馬温公※は、 子どものころ、 高価なかめの周りで遊んでいた友だちが甕に落ち、 おぼれようとしていたとき、 ほかの子どもたちがワーワー騒いでいる中、 彼は迷うことなく、 石で甕を割ってその友だちを助けた。 このことは、 日光陽明門ようめいもんのレリーフの中で描かれている。 徳川幕府ができたころ、 為政者は国づくりに寄せる思いとして、 いかに人と人の助け合いの精神を強調していこうとしていたかがうかがえる。
※宋の臣 (旧法党)、 司馬光 (司馬温公とも) のこと。 「資治通鑑しじつがん
(1084年) の著者

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学びて思わざればすなわち罔し

まなびておもわざれば すなわちくら

学んだ知識をどうするかがはっきりしないままでは、 かえってその知識にこだわりすぎて、 まるで網に絡め取られたみたいになってしまう。

学而不思則罔   (為政第二 15)

【対話】

A 当たり前と思っていた理屈が、 実は間違いだったということもある。 実験をしてみないと分からない。

B (そうだ、) アリストテレス以来の真実と思っていた落体の態様については、 ガリレオが真実を説明してくれた。 またそのアリストテレスの哲学だって、 西洋がイスラム世界と対立する緊張関係の中で、 初めて気がついたし、 それが切っ掛けとなってルネサンスにつながっていった。

【エピソード】

ドイツの昔話 「魔法使いの弟子」 では、 中途半端ちゅうとはんぱで怠け者の弟子が登場する。 主人の魔法使いは、 外出にあたり、 弟子に風呂の水を汲んでおくように指示する。 弟子は、 水汲みを途中で放ったらかしにして、 あとは呪文じゅもんを唱えてほうきにさせた。 やがて風呂がいっぱいになったときに、 それを止めようとするが、 止める呪文を知らない弟子はあわてる。 ほうきをおので二つに折ると、 余計に二倍の水がでる。 ほうほうのていのところへ、 主人が戻ってきて、 水を止め、 弟子をしかる。 とかく修業中はこんなもの。 理屈と実行と工夫の必要を、 くすぐりながら説いている。

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故きを温ねて新しきを知る

ふるきをたずねて あたらしきを

古いものの中に意外いがいと新しいもののヒントがある。

温故而知新   (為政第二 11)

【対話】

A 物の本質が変わらない限り、 そう簡単に古いものはなくならない。 逆に問題の解決を図るには、 過去をたずねてみる必要がある。

B (そうだ、) 物の本質をとらえるのは難しいが、 いま複雑で緊張の伴う金融先物商品を例にとると、―――大坂堂島の米市場で主に取り引きされていたのは諸国の各藩が発行していた米切手だが、 この価格が乱高下するので、 そのリスクを回避するため、 個々の取引口に対し、 「詰め替えし」 という先物取引が生まれた (享保15年=1730)。 これは当時のロンドン金融市場よりも先であり、 今日の世界の金融先物商品の原理は、 すべてこの 『詰め替えし』 にならっている。 リスク回避という点で見ていけば、 現代の金融商品のかかえる問題も見えてくるというものだ。

【エピソード】

「古くから東洋の教えは、 祖先を尊ぶべきことを説きました。 そうして家々には厨子を設け、 祖先の霊を祀る風が行なわれております。 これが東洋における一つの道徳となっていることは皆さんもご承知のことと存じます」
「手仕事の日本」 岩波文庫  柳宗悦 昭和二十一年
『古いもの』 とは単に、 形のあるものだけでなく、 心の底に根ざしたもの、 たとえば、 安心のしかた、 涙の流しかた、 おそれ慎しみかたなど、 心の世界もふくめて言う。 そういうものにまじめに向かい合うことで、 新しいことへの意外な気付きがあるはず。

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朋友と交わりて信ならざるか

朋友ほうゆうまじわりて しんならざるか

友だちとの約束を守ることはとても大切だが、 はたして自分はそうしているか。

与朋友交 (言) 而不信乎 (学而第一 4)

【対話】

A (「信じる」 という言葉が、 意味不明のまま飛び交っている。) 根拠もなしに信じるとか、 期待がはずれたら裏切られたとか、 慎重さを尽くさず、 ただ相手の責任を問うとか、 の姿勢を見ることがある。 そうであってはならないはずだ。

B (確かに) 「朋友相信じ」 る精神は、 努力もリスクも一体感も、 すべて共有する覚悟を前提にした場合にだけ当てはまる。 そういう例として―――匈奴と戦う李広利将軍を支援するために派遣された李陵が、 兵力の差から匈奴に投降したのを、 友人の司馬遷は、 たったひとり宮中で弁護したが、 武帝の怒りをかって、 処罰された。 司馬遷の無念は、 「天道は是か非か」 というテーマで大作 「史記」 の形で残った。

【エピソード】

「君あしたに去りぬ ゆふべのこゝろ千々に何ぞはるかなる
君をおもふて岡のべに行きつ遊ぶ をかのべ何ぞかくかなしき
蒲公たんぽぽの黄になずなのしろうさきたる見る人ぞなき
雉子きぎすのあるか ひたなきに鳴くを聞けば友ありき河をへだてゝ住みにき—–」
与謝蕪村が昔の師、 早見北寿はやみほくじゅの死をいたんで作ったこの詩は、 青春の息吹のような感傷かんしょう郷愁きょうしゅうをうたいあげている。 師ではあるが、 あえて旧友に語りかけるような表現に、 ゆるぎない信頼と懐かしみに満ちた敬愛を感じる。
「北寿老仙を悼む」  与謝蕪村 寛政五年 (1793)

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われ日に三たび吾が身を省みる

われ日にたび かえりみる

あわてて考えてはいけない、 何ども自分じぶん反省はんせいしよう。

吾日三省吾身   (学而第一 4)

【対話】

A (確かに、) 深い内省は大切だ。 黙って静かに考えることだ。

B (それは形のうえだけのこと。) 内省はただ目をつぶって考えることではない。 こんな話がある座禅ざぜん修行をする達磨だるま 大師のところへ、 慧可えかという人物がきて 「弟子にして欲しい、 わたしの不安を取り除いて欲しい」 と頼み込んだ。 長い問答のあと、 大師は 「それなら、 その不安を持ってきなさい。 わたしが取り除いてあげよう」 といった。 やがて大師とともに座禅をすることとなり、 慧可の不安は消えたという (無門関41則)。 我々は、 ただの影や言葉だけに不安がっているのかもしれない。 その正体や本質をつかむことができれば、 問題の多くは解決すると想う。

【エピソード】

イタリア、 アッシジの裕福な商人の子に生まれたフランチェスコは、 若い頃は手におえない悪童。 血の気が多く、 騎士道を夢見て十字軍に従軍するが、 戦場での非人間性を経験した。 その後ひたすら自分を内省する。 帰国後はキリストに似たような修行をつむとともに、 真に貧しい者、 弱い者のための行動をとる。 有名な 「小鳥に説教する」 画題にあるような、 柔和にゅうわなイメージの裏には、 気迫のこもった反省と、 騎士道の上をいくような自律の精神がある。

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