何の常師か之あらん

なん常師じょうしこれあらん

いろいろな先生について学べ。

何常師之有   (子張第十九 22)

【対話】

A (そのとおり。) 武者修行は必要だし、 失敗や批判を恐れていては修行はできない。 大切なのは、 その師を乗り越えるための方法や、 また乗り越えることができた、 あるいはできなかったときに、 それはなぜかを考えることだ。

B (同感だ。) さらにいえば、 技術的に乗り越えたかどうかだけでなく、 師の人格や胸の奥にある人生観の領域についてまでも、 学び取ろうとする姿勢が必要だ。 彫刻家高村光太郎は、 ロダンの踵に接したのは刹那せつなのようだったが、 そのときにオーラを感じ取り、 ロダンを師と仰いだ、 という例もある。

【エピソード】

インドの話―――善財ぜんざい童子どうじは、 裕福な家庭の青年だったが、 いつも遊んでばかり。 ある日、 文殊菩薩もんじゅぼさつから旅に出るようすすめられ、 方々の人々五十三人から話を聞き、 そこから学びを得た。 最後に慈悲をつかさどる普賢菩薩ふげんぼさつの導きで修行をおえることができたという。 ひとりの先生ではなく、 多くの先生について学ぶことが大事だ(旧東海道の宿場数五十三はこの話に因む)。
華厳経 入法界品 (善財童子の巻)

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