徳ある者必ず言あり

とくある者必ずげんあり

まじめな人には、 信じられる言葉がある。

有徳者必有言   (憲問第十四 5)

【対話】

A (それはそうだが、) その人に徳があるかどうかは、 どうやって見分けるのか?

B (そんな頼りないことを言うな。) それこそ、 自分で見分けるしかない。 五感をするどく研ぎすまし、 ローマの政治家セネカが言うように、 その人の言動が、 過去の英知を味方につけているか、 闇にかくれたものに光を与えているかという点に思いをいたしてみればよい。

【エピソード】

日本留学から帰国し、 やがて北京に住まうようになった魯迅ろじんは、 安定した生活をするようになった。 ―――民国六年 (1917) の冬、 北京の街角で車をひろった魯迅は、 途中貧しい老婆が車の前に倒れこむのに出くわした。 車夫は老婆をいたわりながら様子を見た。 魯迅の目にはそれは出鱈目と思えた。 老婆は怪我をしたと言う。 魯迅はそんなことをうっちゃって車を進めるよう車夫に言うが、 車夫は従わず派出所に向かった。 魯迅には、 その車夫の背中が段々と大きくなっていくように見える。 それとともに、 魯迅は自分の卑小さを認識する。 巡査が来て、 あの車夫はもう引けなくなったと告げたとき、 魯迅はとっさに銅貨を巡査に渡し、 「これを車夫に…」と言ったが、 やがて自分で自分の行為の意味が分からなくなった。 魯迅はのちのちまでこれを述懐した。 「この小さな出来事だけが、 いつも眼底を去りやらず、 時には以前にもまして鮮明にあらわれ、 私に恥を教え、 私に奮起をうながし、 しかも勇気と希望を与えてくれるのである」 と。
「小さな出来事」  魯迅 1920年 (竹内好訳・岩波文庫)
自分と向き合うことを信条とする作家は、 恥を恥として一層自分を高めていこうと努力する。

カテゴリ:論語解説

タグ: